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ご来場ありがとうございました!

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混声合唱団ブルーメンクランツ 第六回定期演奏会
盛会のうちに終えることができました。

六年前、第一回の定期演奏会のステージに乗り、今年のステージに立ったのは、私を含めて八人だったそうです。
毎年新しい仲間が増えてゆき、お休みする方があり…。
休団から戻るにはものすごいエネルギーを必要とするのは、経験として実感している私。
でも、やはりこの仲間たちと歌いたい。そのキモチだけで、今の私がいます。

いま、このメンバーで歌うステージはその日かぎりなので、ひとつひとつが、限りなくいとおしい時間でした。

うたを通じて、さまざまな人とめぐりあい、つながりを持つことができることに、感謝です。

御来場下さったみなさま、
いらっしゃれなかったけれど、遠くから応援してくださったみなさま、
手伝ってくださったスタッフの皆様、
指導してくださった先生方、
団長はじめ運営委員の皆様、
一緒にうたったみんな。
今年も、ありがとうございました!
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by hamu_totoro | 2009-06-28 17:00 | はむの日常 | Comments(2)

織部のマグカップ

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フルタイムの仕事に戻ってから(期間限定だけど)、
陶芸をお休みしています。

残してきたこの子、どうしているかしら…(;_;)

…いや、この子は成形後、あとはよろしく!って、I先生にお任せしてきちゃったんですけどね(^o^;

素焼き→本焼きと二回焼くと、これくらい縮むんです。面白いでしょ★

織部のマグカップ、贈り物にも喜んでいただいてます★

あ~、陶芸行きたいなあ~!
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by hamu_totoro | 2009-06-22 22:09 | はむの日常 | Comments(2)

オーケストラ合わせと最後の練習

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合唱の定期演奏会が27日、一週間後にせまりました。来週の土曜日には、もうトッパンホールの舞台に立っているわけで。
今年は例年以上に思いをこめて、祈りを捧げてきます。

今週末は、オケ合わせ、ピアノ合わせと、慌ただしく時間が過ぎてゆきます。

そんななか、気が付いたら、枝豆がさやを沢山付けていました!
芽吹いたのが、つい昨日のような気がしていましたが、元気に大きくなっています。
実がぷっくり、ふくらんでくれたらよいな~。
みんな食べにきてね!

ではでは、最後の練習に行ってまいります!


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

混声合唱団ブルーメンクランツ
第六回定期演奏会
~くりかえしからの再出発~

平成21年6月27日(土)
17時30分開場、18時開演
トッパンホール(飯田橋、後楽園、江戸川橋)

J.S.バッハ『モテット5番・来たれ、イエス来たれ』

信長貴富『混声合唱とピアノ(四手)のためのゴールドベルク讃歌』

P.ヴァスクス『我らに平安を与えたまえ』

A.ペルト『テ・デウム』

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
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by hamu_totoro | 2009-06-21 12:37 | はむの日常 | Comments(2)

今治の空の下で 3 また一緒に、笑顔で。

関東では、前日までしとしと雨が降っていたのに。

今治に着いた日は、今治も、そして関東も、真夏のような晴天でした。

喜んでくれた、のかな。
それにしても、じりじり、日差しが照り付けて、暑かったデスヨ。編集長。

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尾道の駅前から、本四バスに乗りました。
尾道大橋を通り、因島大橋へ。


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因島大橋のバス停で、福山から来た今治行きのバス「しまなみライナー」に乗り換えました。
ここで、東京から始発の新幹線でやってきた友人たちと合流。
一人は、生後2ヶ月になる赤ちゃん連れでした。


バスのなかで、編集長の思い出話をしていると、少し気持ちも落ち着いてきました。

昼前に、今治に着きました。
ここで、編集長ならきっと
「よく来たな!うまいもん食わせてやる!」
と、瀬戸内の美味しい魚を一緒に食べたはず。

集まった仲間内でそう話し、今治桟橋からタクシーに乗り、大浜町にある
「大浜」さんへ行きました。
たぶん編集長なら、「伊予水軍」さんかこちらに連れてきてくれるはず、と。

ぷりぷりと口のなかではじけるような、美味しい瀬戸の海の幸を頂きました。
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・・・たぶん、一人で今治に行ったら、こんな美味しいご飯を食べられなかったよ。
Oさん、K、ありがとう。

再びタクシーに乗り、途中のお店で花束を作ってもらい、編集長のご自宅へ伺いました。

葬儀が終わった直後だったので、ご家族も疲労がピークに達しておられたのに、
私たちのお願いを受け入れてくださり、弔問させていただくことができました。

記者を辞めようか迷って、このご自宅の門をくぐってから、8年。
ご自宅は、ちっとも変わっていませんでした。
白馬が迎える玄関も、少し薄暗い書斎も。
変わっていたのは、そこに、ガハハと大声で笑う編集長がいないことだけ。

編集長はたくさんのお花に囲まれ、ピースのタバコ、アサヒスーパードライを携えて
静かに笑っていました。
なんで編集長の声が聞こえないのかが不思議でたまりませんでした。

お焼香をさせていただきました。
お線香がぐにゃり、と曲がりました。
お線香が曲がるのは、故人が喜んでいるからだと父から教わりました。
編集長、喜んでくれたのですか。

編集長。





ご家族が、思い出深い写真を見せてくださいました。
デジカメに撮らせていただきました。
編集長の笑顔を、少しでも、残しておきたかったから。

編集長は、亡くなる当日、湧き水の調査に訪れていたそうです。
「定年退職後は、無職だ。ただのジジイだ」って話していたのに。
貴方は地元の大学の先生方、水産や農林の関係者の方々と、勉強会をしたり、調査をしたり、レポートを書いたり。
私を山に連れて行ってくれた、あの日と何にも変わらず、少年のように目をキラキラさせて、バリバリと活動していたのですね。
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イギリス取材のときかぶっていた、懐かしい、懐かしいこの帽子をかぶって。
(私の記憶違いでなければ、グラスゴーでこの帽子を買ったはず。)

本当に、最後まで。

そういうところだけは、変わらないんだから。


高校のときも、早朝、7時ごろからお構いなしに電話を掛けてきて。
「おはよう。僕はもう、朝の散歩を終えました。朝は早いんです。
君は今日の夕方、社に来られますか。
そうですか。では待っています(ガチャン!!)」

授業が終わって慌てて東海道線に飛び乗り、社に飛び込むと、
しかめっつらに低い声で「そこに座りなさい。これ読んで」

・・・これを怖いといわずして、なにを怖がれと?

横暴な電話、子供のようなワクワクした好奇心から生まれる容赦ない質問、
厳しい指導。


・・・なのに、どうしてこんなに涙がでるのよ?





お焼香をさせていただき、懐かしいYJPのスクラップを見ながら
ご家族とお話しをさせていただいたあと、ご自宅を失礼しました。

本当は、すぐにバスに乗って福山に戻ろうとしていたのですが、
タッチのところで、バスに乗れなくて。

乳児を抱えて来ていたOさんには申し訳なかったのですが、バスを逃したとき
「あ。編集長だ。
”せっかく来たんだから、もうちょっとゆっくりしていけ。今治の空と海を見ていけ”
って言っているんだ」
と思いました。
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そのまま、次のバスが来るまでの小一時間。
今治桟橋で、ぼーっと、海と、しまなみ街道を見ていました。

空の青さを溶かした海と、白く映える大きな来橋大橋。
しなやかで、女性のようなたおやかさを感じさせる姿でした。

おととし、高松に瀬戸大橋を渡っていったときに、
瀬戸大橋はごつい橋だなぁと思ったことを思い出しました。
瀬戸大橋に比べて、しまなみ街道を形作る橋は、とても、柔らかな姿。

編集長と、Mちゃん、Aが熱意を込めて取材していた、
村上水軍に伝わる「鶴姫物語」の記事を思い出しました。
あのときはまだ確か、しまなみ街道は建設中だったか。
鶴姫の姿を思い浮かばせるような橋だなと思いました。

海と空をつなぐ橋。



海が大好きで、船に乗ることも大好きだった編集長。

きっと三途の川の渡し守に、行くなり早々に
「きみは、いつからこの仕事をしているのかね??」
「なぜこの仕事についたのかね?印象深かった乗客はどんな客だ??」
などと、矢継ぎ早に質問を浴びせかけたに違いありません。

渡し守さん、ウザがって、乗船拒否したかもしれない。
それでも船が大好きな編集長は、渡し守さんの言うことも聞かず
船に飛び乗ってしまって、
それはそれは気持ちよく、あちらに渡って行っただろうな。

編集長。
そちらの世界はどうですか。
美味しいアサヒビールを、腹いっぱい飲んでいますか。
奥様と楽しくカラオケしていますか。



おととい、貴方は夢枕に立ってくれましたね。
私が編集長の写っている写真を渡したら、なぜかしかめっつらな顔をして、
はさみで写真を切り始めてしまった。
驚いたところで、目が覚めました。

いつまでも、後ろばかり、見ているから?
叱りに来てくれたの?

お前はもっとしっかりしろ、
とうちゃんにいつまでも甘えてばっかりじゃだめだ。
べそべそ泣くな。

8年前に言われたのに、私は今も全然変わっていないですね。



貴方から渡してもらったバトン、
今はただ、落とさないように必死で持っているだけで、精一杯です。

貴方のように、命尽きる本当にその日まで、
想いを燃やしつくせるでしょうか。

私なりに貴方のバトンを持って走り始めるまで、まだ時間はかかりそうです。

いま私に出来ることは、ただ、貴方から教えてもらったかけらを持って、
1日1日を、精一杯生きていくことだけ。

いつかまた貴方に会えたその日は、たくさん、叱ってください。
たくさん、空の上で取材したこと、教えてください。
また一緒に、取材させてください。

編集長。
また今治の空の下で、笑顔で、会いましょう。
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by hamu_totoro | 2009-06-18 21:40 | 忘れずにいたいこと | Comments(4)

今治の空の下で 2 編集長からの手紙

(自分のために書いておきたくて、まだ思い出を書いています。
今治の写真や報告を待っておられる方がおられたら、すみません・・・。
mixiのコミュに簡単ですが先に報告いたしましたので、ご覧ください。)



YJPを卒団し、大学を出て、私は記者になりました。
めまぐるしい日々に忙殺され、心も体も仕事に追いついていかなくなって、
次第に虚ろになっていったとき。
どうしても編集長に会いに行きたくなり、仕事を休んで今治に飛びました。

編集長は私の話を聞かずに、山を持っている友人のところに私を連れて行ってくれました。
里山を健やかに守っていくためには、水の流れと、木々の息吹を見極めなければならない。
下草を取り、枝を払い、山を守っていかねば山は荒れていく一方だ。
そんな話をこんこんと聞かされながら、山道をただひたすら上りました。

山の頂にある、注連縄を巻かれた山の守り神とされている木に手を触れたとき、
なんだか温かい、そう感じました。
思い切って木に抱きついてみると、本当に木が温かかった。
「木」は「気」なのだと、感じた瞬間でした。
虚ろになっていた心に、血が流れていくような気がしました。

その晩、編集長と夕ご飯を食べているとき、編集長に仕事の話をいろいろと尋ねられても、
情報もデータも口をついて出てくることの無い自分がいました。
「おまえ、それじゃだめだよ・・・」と言われたことを思い出します。

編集長としては、いろいろと質問することで、私にもう一度記者として奮起してほしい、
と期待していたのかもしれないのですが、
私にとっては、ある意味、引導を渡してもらった気になったのを覚えています。

その晩はご自宅に泊めてもらい、翌朝、朝ごはんの準備をする奥様を手伝いながら、
奥様が言ってくれた言葉。
「貴女が、幸せになれると思う道を、歩いたらいいと思うわ」

今治から帰京し、ほどなくして、私は別の道を選びました。

新聞の世界を教えてくれた編集長に申し訳なくて、恥ずかしくて、
訪問の御礼の手紙を出したあと、
違う道を選んだという手紙を出せたのは、
記者を辞めてから、1年以上過ぎてからでした。

その後、編集長から頂いた返信です。
編集長の使い慣れた、ワープロ(オアシス)で打たれた文章でした。


『転身は、人の世の常。何ら、恥ずかしいことではありません。』


きっぱりと、温かく、新しい道に向かった私の背中を押してくれたと感じました。
読みながら、涙がぼろぼろぼろぼろ出てきて、声を上げて泣いたのを覚えています。


4年間、二度目の学生生活を終え、作業療法士の国家試験に合格したときの、返信。


『この春、○○○○病院のリハビリテーション科・・・あれから、もう4年、とうとう、そうなったか。』

『・・・これであなたも、ジュニア記者列伝のひとりになるのだ。・・・ジュニア記者諸君は、やるもんだ。』


今治の対岸に故郷を持つ、はむ夫と結婚した時の、返信。


『○○市は、今治市と並んでかつての海域の支配者の地。親しみと因縁を覚えます。
瀬戸内海は古来東西を結ぶわが国の大切なシーレーンですが、南北も、
四国と中国を結ぶ大事なローカル幹線で、そのルートをなぞって”しまなみ街道”が
構築されました。はむ夫さん、お互い、海人の子孫でなければ出来ない話しをしましょう』


はむ夫と二人でしまなみ街道を走り、編集長に会いに行ったとき。


「はむ夫さん。目の前に造船所の建屋が見え、静かな海が広がるという素敵な光景は、瀬戸内海ならではですね。はむさんも、大切な心象風景にしてください」

そう、私たちに語りかけていたことを思い出します。

最後に握手をして、相変わらず分厚いグローブみたいな手だな、と感じました。
そのぬくもりが、私がこの世で編集長に触れた、最後のぬくもりになりました。



はむ夫の持っている心象風景は、編集長の心象風景でもあったのだと、
今回、今治を訪れ、ご遺族とお話しをして知りました。

今治はとても近かったのに、どうしてもっと会いに行かなかったんだろう。

私はこんなにも人生を楽しいと思えるようになったと、どうして伝えられなかったんだろう。

陶芸のこと、合唱のこと、友部の田んぼのこと、ベランダで野菜を育てるようになったこと、ハーブ園でボランティアをするようになったこと、またリハビリに関わる仕事が出来るようになったこと、

たくさん、たくさん楽しいことを編集長に話せばよかった・・・。

そう思うと、いてもたってもいられなくなって、私は今治に向かいました。
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by hamu_totoro | 2009-06-10 23:45 | 忘れずにいたいこと | Comments(4)

今治の空の下で 1

先の日曜日は、愛媛県今治市を訪れていました。

急逝した、恩師に会いに行きました。

私は小学5年生から高校3年生まで、
読売新聞のヨミウリ・ジュニア・プレス(以下YJP)という団体に所属し、
子供が主体となって取材し、記事を書き、紙面を作るという事業に参加していました。

急逝した恩師は、YJPを立ち上げ、20年近くに渡って子供たちを指導してきた編集長でした。

編集長に初めて会ったのは、YJPの面接試験のとき。

「君は、なぜ子供記者になりたいのかね」

私にそう尋ねた編集長に、私は
「なぜ掃除機はごみを吸い込むのか、なぜ消しゴムは文字を消せるのか、
そういうことを知りたいんです」
と答えました。

そして面接試験当日の夕方、YJPの記者に合格したという電話をもらいました。
「合格しました。必ず筆記用具を持って、○○日に本社にきてください」
と編集長にいわれたことを、20年たった今でも、はっきりと覚えています。

小5から中1までの3年間は、日曜版を作る班に所属していました。
班の構成は、高校2年生がリーダー(=デスク)となり、主に記事を書く役。
中2がサブデスクとしてテープ起こしなどを担当し、
中1、小6、小5は取材時の質問を考えたり、いろいろなアイデアを出す役でした。

当時、編集長は夕刊班を指導していましたが、横浜博覧会が開催された年、
私たち小学生の記者だけを集めて取材をさせてくれました。
普段は高校生、中学生がしていることを小学生にさせてくれるとあって、
とても興奮して取材をしたことを覚えています。

しかし、私の記事はちょっぴりしか掲載れず、がっかりしたことも覚えています。
「もっと短く、わかりやすい記事を書きなさい。君の感想は長い」
長々と書いた私の原稿に、赤線でビーっと削除線を引いた編集長の怖い顔を、
今でもはっきり覚えています。

全体会議で、同じ同期の小学生が集まったのが嬉しくて、
9階の大会議室で追いかけっこをして、編集長に怒られたこと。
社員食堂でわいわい騒ぎすぎて苦情がきて、編集長に怒られたこと。
悪いことは悪いと、つばを飛ばして叱る人。

でも小6のとき、年に一度のボーリング大会のさい、頭痛と吐き気を起こしてしまい
5階の部屋のベンチで寝ていた私を気遣って、見に来てくれた記憶があります。
今思うと、たぶん、偏頭痛の発作だったのだと思います。
30分寝かせてもらい、楽になったので帰ろうとしたら、先に両親に電話を入れてくれて、
「気をつけて帰りなさい。家に着いたら、いつもと同じように、必ず社に電話を入れなさい」
そう編集長が言ってくれたとき、厳しいけどとても優しい人なんだな、と
感じたことを覚えています。

中1になる年の1月、昭和天皇が崩御されたとき。
編集長は子供記者全員を集め、全体会議の席で、
「いま、新しい時代が幕を開けました。君たちの時代がやってきました。
君たちが未来を創るんです。未来は君たちにかかっています。
それを忘れないでください。君たちに期待しています。」
そう熱く語っていたのを、いまでもはっきりと覚えています。

中2になり、夕刊班に転籍を希望して、編集長の下で活動を続けましたが、
高校受験を控えていたため、中3は活動をお休みしました。
受験を終えて再度面接試験を受け、高校生記者としてサブデスク、
デスクをすることになりました。
このときから、編集長の厳しい指導を、直接受けることになりました。

「もっと面白い質問はないかね」
「なんだ、このだらだらした文章は」

何度そういわれたことか。
編集長はとても頭が柔らかくて、面白い答えを引き出せそうな質問の引き出しを
たくさん持っていた。
編集長に赤を入れてもらう前に、編集長の前で記事を朗読し、
赤を入れてもらった後、もう一度朗読して、驚くほど分かりやすくなった文章に、
いつも目からウロコが落ちる思いばかりしていました。

一度だけ、ほとんど直されなかった記事がありました。
原宿の町で高校生が、英会話の実地訓練として
外国の観光客に英語で話しかけ、コミュニケーションをとる授業をしている、という内容でした。
記事の書き出しは
『エクスキューズミー。・・・ああ、行っちゃった』

「あの記事は、とてもよいものでした。場面がよく伝わってきました」
その言葉をもらったときは、本当に本当に嬉しかった。
誉められたのは、後にも先にも、あの記事だけです。

編集長の故郷、愛媛で高校総合文化祭を取材したとき。
ふるさとに誇りを持ち、愛媛をこよなく愛していた編集長に、
取材も、取材後のお楽しみ(?)も、たくさん連れまわされました。
当時は彼のマイペースさにヘトヘトになりましたが、
今となっては、楽しかったことしか覚えていません。

白魚の踊り食いを初体験したり、怪しげなスナックでカラオケをしたり、
帰りの飛行機を待つ間、搭乗口の売店で、
「うまいもんがある。これをたべなきゃ、愛媛に行ったとはいえないぞ」と
今治の名物、じゃこ天を勧められ、飛行機の中でじゃこ天を3枚も食べたこと。
飛行機から「富士山が見えるぞ」と、夕やけ空に浮かぶような富士山を一緒に見たこと。

高齢者の不自由な体の疑似体験が出来る取材では、
最後のまとめになる言葉がたりない、と言われたのに、どうしても思いつかなくて。
何度も編集長とFAXや電話をやりとりした挙句、
最後に編集長が引き出してくれたのは、
「この記事を書いていたら、私のおばあちゃんに会いに行きたくなりました」
という一文でした。

今思うと、編集長も、愛媛に一人住むお母様のことを思い出していたのかも、しれません。

・・・なんでこんなに覚えてるんだろう。
思い出しすぎて、苦しいです。編集長。

イギリス取材をしたときは。
当時、左膝を痛めていた私の荷物もちと称して、私の父が取材についてきたのにあきれつつ。
(取材旅行に親がついてきたのは、後にも先にもうちの父だけです・・・)

父と編集長は意気投合して、取材後、夜の街に繰り出していったっけ・・・。
もちろん、父と編集長の部屋も一緒。
うちの父はイビキがうるさいので有名なのですが、その父が
「編集長はすごい」と閉口するほど、編集長のイビキはすごかった。
寝ていて時々呼吸が止まるんだよ、大丈夫かな、って言っていたっけ。

帰国の途についてすぐ、帰りの飛行機の中で記事のプランを練ったこと、
眠くてしんどくてつらかったけど、連載記事のためにはあの時間が大事だったと思う。

編集長といえば、アサヒスーパードライ。
夕方5時を過ぎ、薄闇が迫ってくると、おもむろに冷蔵庫を開けて
嬉しそうに缶ビールを取り出していたのを覚えています。
「5時を過ぎたらいいんだ」って、そんなんでよかったんでしょうか。編集長。

外出先でご飯を食べるとき、スーパードライを置いていないとお店の人に言われると、
あからさまに不機嫌になっていました。
スーパードライのノボリを見つけただけで、そこのお店に入ってしまうくらい、好き。

編集長が若い頃、東南アジアで取材する機会が多かったという武勇伝を話してくれたとき、
「安全なのは水よりビール。ビールは水みたいなもの」と言っていました。
だからこのビールっ腹なのか、と納得したんだっけ。

取材後の新幹線の中では大抵、お気に入りのアサヒスーパードライを
ぐいぐい飲んで寝てしまって、周囲を省みない(汗)盛大なイビキをかいていました。

あんまりにもうるさくて、周りの人にもじろじろ見られて、恥ずかしいから、
一度だけ、寝ている彼の鼻の穴にティッシュを丸めて突っ込んだことがあるのです・・・。
ふがふが、ふがーって、眉間にしわを寄せて飛び起きた、編集長のしかめっ面を、思い出す。

・・・学生時代の思い出だけで、こんなに書いてしまった。

編集長に「また、長い!」って、喝を入れられるね。

喝を入れて欲しいよ。編集長。

2に続きます。ごめんなさい。
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by hamu_totoro | 2009-06-09 23:21 | 忘れずにいたいこと | Comments(0)

もうすぐ岡山です

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今日は広島に立ち寄り、
明日は愛媛の今治へ向かいます。

どうしても、今治の空の下に立ちたくて。
今治の空気をもう一度吸いたくて。
そこにいる貴方に会いたくて。

スーパードライ、飲みます。
編集長、一緒に飲みましょう。
戴きます。
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by hamu_totoro | 2009-06-06 12:46 | はむの日常 | Comments(0)

会いに行きます

お仕事、四日目の朝です。

仕事は、ひとに自信を与えてくれるものなんだなあと感じつつ、
ゆっくりと歩いています。

仕事をはじめる前日と初日に、悲しい知らせが立て続けに届き、
この週末は愛媛の今治に、会いにいくことにしました。
来月は福島へお墓参りに。

終わりは、始まり。
そう思えるまで、試されているのか?
そう感じてしまうくらい、別れの多い上半期です。
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by hamu_totoro | 2009-06-04 08:17 | はむの日常 | Comments(6)


パンやお菓子作り、畑仕事、陶芸、うたの楽しみを綴っています。作業療法士。たまにお仕事(精神障がいの方の支援)の話も。 ※日記に関係のないコメントやトラックバックは 削除させていただきます。


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